書評・レビュー

「103歳になってわかったこと」の名言。100歳を超えた篠田桃紅さんから学ぶこと。

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経験者は語る。20代の人が30代、40代の生き方を語ったとしても、そこに説得力って生まれないんですよね。

一つは経験がないから。経験したことってとても重いんですよね。

経験有ることと無いこと差は雲泥です。

しかもそれは年数をますごとの重みが増してくるわけです。1年と10年ではまたその重みも違うでしょうから。

それが100年続いたらどうでしょう?そこに到達できる人は何人いるでしょう。その重みといったもう測りようがありません。

100歳まで生きたという経験が何をその人にもたらすのか、そんな経験し難い経験をした篠田桃紅さんの「103歳になってわかったこと」から読み取れたことをご紹介します。

103歳になってわかったことは誰が書いた本?

「103歳になってわかったこと」を書いたのは「篠田桃紅」さん。

日本の美術家であり、映画監督の篠田正浩は従弟にあたる人です。

5歳から書道を始め、以後は世界大戦後に書に関わる美術作品を作ってこられ、ニューヨークを中心にヨーロッパを含めた様々な地域で古典を開かれてきた人です。

そんな篠田桃紅さんが103歳まで生きてきた人生観が垣間見れる一冊となっています。

歳をとることで変わった。未来を見る目の変化。

(前略)未来を見る目にも変化が起こります。若いときは、頭にひらめいたことはなんでもやればできる、やれそうな気がどこかにあります。しかし、今、未来を見ると、その瞬間、その未来を肯定する気持ちと否定する気持ちが同時にやってきます。頭にひらめいたけれど、もうできないだろうという否定が生じるのです。歳をとれば、人にはできることと、できないことがあることを思い知ります。そしてやがて悟りを得た境地にいたります。

それは、できなくて悲しいというよりも諦めることを知ります。ここまで生きて、これだけのことをした
。まぁ、いいと思いましょうと、自らに区切りをつけなくてはならないことを、次第に悟るのです。

人生を観る視点が全く違うことに気づきます。

もう見てる目線の高さが違うんですよね。これただ単に老いたからできることが少なくなったという単純な話ではないです。

(前略)言うなれば、体の半分はあの世にいますから、この世にいるよりも、少し遠目がきいて、客観視するようになったと言えるのかもしれません。

つまり「死」を意識する年齢になってから感じられる境地といっていいかもしれません。

その場所に立てるにはやはり生きた年月が必要でしょう。

ここから何を学ぶかは個人個人の思うところが多いでしょうが、僕はこの言葉が強く重いと感じました。

単純に篠田さんの言葉に引き込まれます。

「103歳になってわかったこと」の名言。

なんでも言っておく、伝えておく。

(前略)いずれにせよ、こうして長生きしている人間は、一つの珍種ともいえるので、ちょっと珍しい種類の人間として、伝えられることは、なんでも、そのときに言っておこうと、いつ死ぬのかわからないので、思っています。

これもパッと見「いつ死ぬかわからないから言いたいことを言っておこう」という至極当たり前のことばなんですが、先ほども著者が述べていたように、体の半分あの世にいるという認識のもと生きている人のことばとしてはものすごく重いんですよ。

もう鉛のように重く心に響きます。

説得力が全然違うんですよ。このような類のことばは色々なビジネス書にも書かれていることなんですが、ひと味もふた味も違います。

同じ言葉でも放つ人によってここまで、重みが違うのかというところがポイントです。

先日僕の好きな作家のひすいこたろう氏の「明日死ぬかもよ」という著書を読んでちょっと死について考える機会があったんですよね。

あした死ぬことがわかっていたら本当に今日の自分はいつもの今日を過ごしますか?そんな問いかけのある本なんですが、死を認識しながら生きるって本当に大切ですね。

もちろん若ければ若いほどこの認識とは違う次元で生きやすくなってしまうのですが、できるだけ若いうちから死を認識して生きることで自分の歩む人生を考えてみるのは非常にいいことです。

ただ、これはあくまでもそう思うというレベルです。

篠田氏はそれをリアルに感じるんですよね。

本当の死と向かい合って生きているというかもう同居しているような感覚なんでしょう。

頼らずに自分の目でみる。

人は、説明を頼りに何かをみていると、永遠に説明を頼りにみるようになってしまいます。たとえば、それがえであれば、絵の鑑賞の幅を自ら狭めていることになります。

パソコンや携帯電話などの機器を買うとき、人を頼りに買っていれば、使うときも人頼りになります。機器を使いこなす楽しみを自ら放棄していることになります。

参考にできることは、おおいに参考にしたほうがいいと思いますが、頼るのではなく、自分の目で見て、考える。(後略)

103歳にしてパソコンや携帯電話の使いこなす楽しみについて言及できるのはすごいことですよね。

というより、「人を頼りに買っていれば、使うときも人頼りになります。機器を使いこなす楽しみを自ら放棄していることになる」という部分非常に大切ですね。

この点がわかってない人は自分基準で生きれていません。説明がないと生きれないって楽しくないですよね。でも結構こんな人多いんですよ。そして説明できないなにか漠然としたものを嫌う。

自分の目で見て考えるという至極当たり前の行為なんですが、案外できないひと多いんですよね。

自分の人生くらい自分で見つめたほうがいいと思いますけどね。

考える力をつけるでいけば「ちきりん」氏のブログをすごい面白いですよ。おちゃらけ社会派の人気ブロガーちきりんさん。この人の思考ってめっちゃ面白いですよね。

103歳になってわかることは今をどう生きるかに迷っている人に読んでほしい。

まだまだ本書に関しては伝えたいところがいっぱいあるんですが、この辺で止めておきます。

生きる、生活するということをもう少し客観的に見たいと思っている人おすすめしたい一冊です。

この本、本当に良著なので是非手にとって読んでみてください。人生観変わるかも。